遠い校庭芝生化

参加しているボランティア・おやじ会の集まりがあって、
来年の実施イベントなどの会議を行った。
その中で校庭芝生の話題も少し話していただいた。
現状としては、市としてはあまり熱心に推奨ということ
ではないようだ。
ただ、東京都は依然として推奨する立場にあることは間違いない。
2019年のラグビーワールドカップ
2020年の東京オリンピックが迫っている。
こういう国際的なスポーツイベントをやるのは大変いいことだけど、
その一方で、校庭芝生のようなものにもちゃんとお金を使ってほしい。
子どもが体を動かすことの喜びを知れば、
将来にわたってなんらかのスポーツを継続する期待が持てる。
そうなれば、健康増進につながり、将来の医療費の抑制にもつながるだろう。
こういう効果が見えにくいものにも、
ちゃんと目くばせをするのが政治の役割だ。
さて、今回のおやじ会内での話。
「きれいな芝生だったら、管理の手伝いをするのはやぶさかではない」
とか、「まずコストの面などの話ができないと、議論にならない」
という、これまでの話から一歩も話が進んでいない発言が飛び出し、
ちょっと途方に暮れてしまった。
「目的は芝生をつくることではない、子どもが思い切って
体を動かせる場所をつくる」
「そのためには、校庭にどの程度のレベルの芝生をつくるか、
関係団体と意見交換したうえでないと費用は定まらない」
と何度も言っているのだが……。
日本人に巣食う「芝生は高級なもの。お金がかかるもの」という
概念を根底から覆す試みは道のりが険しい。
はっきり言えば、大人は「政治は子育てに金を使わない」
といって批判するのだが、そういう大人は「子育てに自分の時間を使わない」
人が大半なんだよなあ。
政治には金を使えというのなら、自分は労力を使わなきゃね。
労力を惜しまないおやじ会の人に理解してもらうのがこんなに大変なら、
それ以外の人にはどんな言葉でわかってもらえたらいいのだろう。
実現への困難さばかりが思い知らされた会議でした。