旅で出会った母娘

私が中学生になる年の4月10日、瀬戸大橋が開通した。
その日に合わせて、宇野―高松をつなぐ「宇高連絡線」が
廃止となった。本州から四国へ初めて橋がかかったのだ。
そのとき、近所の同級生と、9日の最終の宇高連絡線に乗り、
瀬戸大橋を渡る始発のマリンライナーに乗る計画を立てた。
宇野から連絡線に乗るときはもうものすごい人だった。
同じような旅行を計画した人がたくさんいたのだった。
中1になった私たち2人は大人の背中と背中に挟まれ、
圧死しそうだった。
そこに母親と20代前半の娘ふたりの3人組がいて、
私たちを人の群れの圧力から体を張って守ってくれたのだった。
そして、お礼を言って連絡線に乗ってみると、そこもやはり
黒山の人だかり。船が沈むんじゃないかと言うぐらいの大勢の
人が乗っていたのだ。
当然、席はなく、私たちは席と席の間の通路に疲れはてて
座り込んだ。
すると、先ほどの母娘3人が近くに席を陣取っていた。
見かねた母娘は、私たちに「ここに座ったらええよ」と
優しく言ってくれた。私たちはその言葉に甘えることにした。
私たちがお礼を言うのもそこそこに、すぐにどこかに消えていって
しまい、ちゃんとお礼をいうことができなかった。
結局、初めて徹夜で望んだ旅行は大成功で、
無事に岡山駅まで帰ってくることができた。
ただし、途中のマリンライナーの車中は、
立ちながら半分眠っていたが。
いま躊躇なく、電車で席を譲ることができるようになったのも
このときの経験があるからかもしれないと思う。
あのときのおばさん、おねえさんたち、ありがとう。
あのときの坊主はそこそこちゃんとした大人になりましたよ。