トルコの恩返し

日本人として知っておきたい話①


1985年、イラン・イラク戦争の最中、
イラクは「イランの上空を飛ぶ、すべての飛行機を打ち落とす」
と世界に向けて通達した。
イランでは日本の民間企業の社員やその家族が多く住んでいた。
その日本人たちは、急いでテヘラン空港に向かったが、
どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
他の国々は、すぐに自国から救援機を出していたのだが、
日本では決定に手間取り、時間だけが経過してしまっていた。
それを知ったトルコ政府は、テヘラン空港にトルコ航空の飛行機を派遣、
自国民より先に日本人215名を乗せて飛び立った。
なぜトルコが助けてくれたのか。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は、
のちに次のように語った。
エルトゥールル号の事故に関して大島の人たちや日本人が
してくださった献身的な救助活動を、今でもトルコ国民たちは
忘れていません。私も小学生のころ歴史の教科書で学びました。
トルコでは、子供たちでさえエルトゥール号のことを知っています。
私たちはあのときの恩返しをしただけのことです」


エルトゥールル号の事故」
――時は明治23年9月のある日までさかのぼる。
オスマン帝国(現トルコ)の親善訪日使節団を
乗せた軍艦 「エルトゥールル号」が串本町樫野埼沖で
台風による強風と高波により座礁し、沈没した。
この事故により587名の命が奪われる大惨事となったのだが、
事故を知った漁村民の件名の救助活動により、69名の命が助かった。
このことが、トルコの人々の間で語り継がれていたのだ。

この話を、私の知人のIさんがイギリスにあるトルコ料理の店で、
店の常連らしきトルコ人に話したとき、
「その話はトルコ人なら誰でも知っている」と応えたという。
Iさんはこのイラン・イラク戦争のときのトルコの行為に触れ、
「日本人として感謝する」と伝えた。
そのトルコ人はいたく感銘し、涙を浮かべて握手を求めてきたという。
語学を学んで外国人と話すには、話すべき内容がなければならない。
トルコ人になら、この話がうってつけだろう。
日本人としてぜひ知っておきたい話である。