江戸城天守閣はいらない

以前、江戸城の本丸跡を訪れたことを書いた。
天守閣を再建したら、観光の目玉となるだろうに、との主旨だった。


江戸城太田道灌によって1457年に築城した。
太田道灌といえば、次の句が有名。


七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞかなしき


道灌がある里で鷹狩りに行った帰り、豪雨に遭ってしまい、
ある貧しい農家に立ち寄った。
そこで蓑かさを所望したが、その農家の少女に山吹を渡された。
いぶかしげに思って、城に帰って聞いてみると、
やまぶきはこの古歌のことを意味していると知る。
やまぶきは実をつけないから、「実のひとつだになき」と
「蓑ひとつだになき」をかけてある。
貧しい農家の少女がこの古歌を知っていたのに、
自分は知らなかったと無知を恥じた道灌は、
それから勉学に励むようになり、文武両道の名将となったと伝えられる。


その後、江戸時代となって江戸城は徳川家の居城となった。
安土城大阪城をはるかにしのぐ、五層の立派な建物だったという。
しかし、1657年の大火で消失。
このときの火災で江戸の町で10万人が亡くなったという。
その後、再建の話が持ち上がったが、四代将軍家綱の叔父、保科正之
江戸市民の救済を優先すべしと唱えたため、以後再建されなかったという。
「建物より人」だったわけだ。


この話は現代につながる話ではないか。
「コンクリートから人へ」
民主党自民党政治からの転換を訴えて、先の衆院選で勝利した。
建物をつくりより人を大事にしようという保科氏の精神が
実のところあまり伝わっていない。
「観光」というだけに、目に観えるものだけを
つくろうとしてしまいがちだけど、江戸という、当時、世界的に見ても
最も平和で、高度に文化的に発展した都市の精神を伝えるのに、
この話は格好の素材ではないかと思った。
実際のところ、建設費用が集まらなかっただけかもしれないが、
「建物より人」を重視する都市の象徴として、
「再建されない天守閣」のほうが、意味があるような気がする。
そして、このことを観光のテーマとするほうが、
外国人、特に欧州の人たちには受けると思うのだ。
城好きとしては、建物を見てみたい気もするが、
歴史に隠された逸話を紐解いてみるとき、
ぽっかりと空いた石垣の上に、想像上の天守を描いてみるのが
本当の城好きのロマンというものだろう。