食べるためなら殺してよい

娘は肉全般が大好きで、特に鶏の唐揚げとか、
手羽先、手羽元など胸肉以外は好きなようだ。
先日など手羽先の部分の甘辛煮を食べさせたら、
バクバク食べながら、「これなーに?」という。
娘は黄色のアヒルのヒヨ子のぬいぐるみが好きで
始終持ち歩いており、「ガガちゃん」と名付けている。
そこで私はわかりやすく、
「ガガちゃんの仲間をね、キュッとやって(しめて)
腕を切り離したものなんだよ」と教えた。
「へ〜、そうなんだあ」と娘。
「食べるためなら、殺していいんだよ。わかる?
だから残さず食べようね」
「へ〜、そうなんだあ」
わかっているのかどうかは不明だ。
でも大きくなっても同じことを言い続けると思う。


クジラやイルカを獲って食うなという人が外国にいる。
世界にはクジラやイルカだけでなく、
犬やアザラシなど、さまざまなものを食べて生きている人がいる。
そういうことを言う人はこれらの人にも同じことが言えるのだろうか。
「クジラやイルカを食べなくても今の時代は他にたんぱく源がある」
と反論するのだが、それなら西洋の美食家たちが食べている
キャビアやフォアグラはどうなのだろう。
「家畜はよいが、自然にいる動物はダメ」という人もいる。
それなら漁業自体が成り立たなくなる。
そういう難しい論理や食文化の違いなど並び立てずに、
「食べるためなら殺してよい」でいいのではないかと思う。
食物連鎖の頂点に人間がいるのだからそれでいいのだ。
その前提があってこそ、命をいただいていることに感謝し、
食べものを大切にする心が自然と育つのではないだろうか。