「無料」の時代

いまの時代は本当にものが売れないんだなとつくづく実感する。
コストにはイニシャルコスト(初期費用)と
ランニングコスト(維持費用)とがあるが、
いまイニシャルコストを極力下げ、ランニングコストで儲けようと
いう動きが活発化している。
携帯電話などがよい例だ。
新しい形態電話に変えるのに費用はほとんどかからない。
ただ、そのぶん毎月の請求額になって払わされる。
ローンを組まされているようなものだ。
初期投資を極力押さえ(あるいはゼロにする)、ランニングコスト
費用を回収しようとしている。
100円パソコンがわかりやすい例だ。
こういうビジネスはもっと広がるかもしれない。
たとえば、クルマも可能になるかもしれない。
クルマはもはやステータスの象徴にならなくなっている。
乗ることの楽しみがなくなり、単に移動手段になれば、
どんなクルマに乗ってもいいことになる。
そうすると、初期費用はゼロでクルマを持てるようになる。
しかし、ガソリンが1リットル500円になる。
ガソリン代の中にクルマの代金が含まれているわけだ。
これなら学生でもクルマを持つことが可能になる。
今後、あらゆるものが無料になるという経済学者もいる。
その手法はさまざまで、フリーペーパーのように
スポンサーがいるものから、パソコンソフトのように無料で配布し、
全体に行き渡ってスタンダードになったところで他のソフトとは
互換性のない有料ソフトを販売して一気に費用を回収するのだ。
デフレの先には無料化の時代がやってくるのだろうか。
しかし、私たち消費者はどこかでそのコストを支払わされる。
それが目に見えるかどうか、わかりやすいかどうかだ。
無料だと思っていたものが、実は知らない間に高い代金を
支払わされているということになっているかもしれない。
そういう意味ではコワい時代なのかもしれない。