みおくりびと

17日午前6時過ぎに祖母が永眠したため、
急遽、2か月ぶりの帰郷となりました。
去年の4月に容体が悪化し、山を越えてからは一進一退を
繰り返していて、一時は良くなり退院できるような話も
あったのですが、最期は肺炎でした。
5月25日に帰省して会ったときには、
「よう来たなあ」
「子どもは1歳半になったよ。ぼくも34歳になったし」
「そうは見えんなあ」
などといった会話を交わしました。
以前は成り立たなくなっていた会話も成り立つようになっており、
良くなることはなくても、このままもう少し生きるものと
思っていたのですが、わからないものですね。


18日午前に岡山に入り、午後から納棺に立ち会いました。
映画「おくりびと」で見た所作とは違っていましたが、
居合わせた人たちみんなで協力して遺体をお棺に納めるのは、
『死体とご遺体』(熊田紺也著)という本にあったとおりでした。
納棺は斎場で行ったのですが、そこで通夜も行い、葬式も行いました。
小さい子どもがいるので、通夜と骨を拾うことはできませんでした。
親類や列席者にどのようにあいさつしていいかわからず
面くらいました。たぶんそういうときにお決まりの文句があるのでしょう。
納棺を手伝ったり、棺に花を添えたり、棺を運んだり、
何かと出席者に参加させるようにするのは、葬式が簡略化しすぎてしまい、
あるいはすべて業者の手によるものになってしまい、見送るだけの人に
なってしまわないようにするためなのだと思います。
傍観者にさせず、参加させることで、死を実感してもらうと
いうことなのだろうと理解しました。
私も「みおくりびと」として役目が果たせたでしょうか。


祖母には一番年少の孫としてかわいがってもらいました。
その祖母が住む家に毛筆で書かれた紙が張ってあったのが思い出されます。


同じ一日なら笑ってすごそう


祖父が亡くなってから20年近くの間、独り暮らしのさびしさを
笑うことで紛らわせてきたのでしょう。
ゆっくりやすんで、二人で遠くから家族みんなを
見守っていてほしいと思います。