なぜ電化製品は立て続けに壊れるか

ここのところズボンやベルト、パンツや靴下が立て続けに
ダメになったので、新しいものを買った。
もう物としての役割を終え、天寿をまっとうしたと
言い切ることができるまで使った。
なぜだかこういうことは立て続けに起こる。
みんな思いつくことがあるのではないか。
たとえば、家電が立て続けに壊れたりすることがないだろうか。
掃除機と洗濯機が同時に壊れてみたり、
ビデオとパソコンが同時に不調になったりする。
不思議だけど、こういうことは立て続けに起こる。
けれど、実は立て続けに起こったように見える出来事も
本当のところはそうではなかったりする。
「そういえば、こっちも壊れていたような気がする」
「そういえば、あれも破れていたような気がする」


そう、今まで気づかなかったことが、あることをきっかけにして
目に入り、耳に聞こえるようになったのだ。
実は現実が変わったのではなく、自分が変わったのだ。
人間は全方向にアンテナを張り、気を配り、いつも意識して物事を
見たり聞いたりしていることはできない。
それをやると毎日疲れ果ててしまうだろう。
人は毎日を漫然と過ごしている。過ごさざるを得ないのだ。
だから三日坊主になる。
しかし、たまにあるきっかけによって、意識が呼び起こされ、
似たような事象に対して敏感になるのである。


たとえば、洗濯機が壊れた時、「そういえば掃除機も変な音がしてた」と
思えるようになる。これが気づくという現象だ。
洗濯機がきっかけになって、掃除機の異変に気づくわけだ。
掃除機は決定的に壊れてしまったわけではないので、
注意して見たり聞いたりしていなければ故障に気づかない。


私たちが何かを決意し、続けようとするときも同じことが起こっている。
「自分はこれからこうしよう」「こうでありたい」
と思うことは多いが、それはいつの間にか忘れる。
しかし、何か思い出すような出来事があると、また決意する。
これの繰り返しで人生はできている。
忘れないためには、文字にして残し、それを生活の中で常に見られる
状態にしておくことが有効だ。
受験生が「めざせ!東大」と書くのはそのためなのだ。
これは社会人の生活にも応用できることではないか。
いつも目に見える場所になりたい自分について書いておく。
たとえば、洗面台の近くに。たとえば、トイレのドアに。
毎日そのことについて、否応なしに意識させられる。
それだけで人生が違ってくるかもしれない。