命の担保

前にも「『死んで借金を返す』は許されるか?」
でも書いたのだが、ここで疑問に思っていたことを、あるライター氏、
弁護士2年目の二人、計3人に意見を聞いてみた。
すると、彼らの反応は「リスクのあるところに貸すのだから当然」と
いうものだった。
ライター氏は、「死んでお金を返せるなら家族は助かる。マスコミが
扇情的に取り上げるせいで、逆に困る人が出てくる」とまで言う。
たぶん、こういうことはメディアではけっして言われない。
言うと集中砲火を浴びるからだ。
少数の意見でも、メディアで展開されることによって、あたかも大勢の
意見であるような錯覚に陥ることはあるが、この場合はどうなのか。
もう一度、おさらいしておくと、次のようになる。


1.消費者金融の大半が融資契約時に、原則として借り手全員に
 生命保険に加入させている。
2.受取人は消費者金融で、借金相当額の最高300万円を受け取る。
3.借り手の大半は十分な説明を受けず、加入を知らない。
4.借り手が自殺すれば、貸した金を回収できることが、過酷な取立て
 を誘発している。
5.この生命保険は、自殺をおりこんでいるため、保険料はほかの保険
 より高い。その保険料は、消費者金融が支払っているが、そのリスク
 を金利に上乗せしている。


私がとくに問題だと思うのは、4と5だ。
消費者金融は、自分で貸し出しするリスクをすべて負わず、
借りる人側にリスクを転化している。そのリスクを、自殺に追い込む
ことで、解消しようとするのは自然ななりゆきだ。
リスクのあるところには高い金利で貸すことが、企業努力であること
ぐらいは私にだってわかる。わかるだけに、このことがすべて悪い
とも言い切れないところがある。
だが、そもそも生命保険は、自殺して金を返すためのものではない。
不慮の事故で死んだのなら、それによって借金が返されるのはいい。
自殺に追い込むような状況は、どう考えてもまずい。
この点は生命保険会社にも問題があって、なぜ自殺でも保険金を
支払っているのか疑問だ。
契約後2年を経過すれば、自殺でも保険金を払われることになって
いる(3年とする生保もある。自殺では保険金が支払われない傾向に
徐々になってはいるが…。ここに自殺に寛容な日本社会の雰囲気が
あると思うのは私だけだろうか?)。
金融機関はとりわけ、金融システムを安定させ、社会を安定させる
社会的責任がある。グローバリズムの中で、国際競争に勝ち残らねば
ならなくなった一部の企業で、社会的責任が忘れ去られている。
もっと忘れ去られているのは、そもそも命はお金と引き替えに
するようなものなのか、という感情の部分だ。
なんて薄っぺらな、軽い命なのだろうと思う。
ビジネス上のロジックでは、感情があまりにも軽視されている。
感情は非論理的なものとして排除されている。
ロジックで成り立つものだけが万能とされている。
「命を担保にする」
ここに感情の入り込むスキはないのだろうか。
いまはそういう殺伐とした時代になってしまったということか。