潮干狩りは貝をまく?

知ってますか?
潮干狩りで貝をまいているところがあるという。
これって常識なんでしょうか。
私は驚きました。初めて聞きました。
潮干狩り会場というのは、いまや有料なんですね。
私は子どものころに親に連れられて瀬戸内海に潮干狩りに
行ったことがありますが、有料だった記憶はありません。
魚を放流するみたいに、繁殖させるためにまいている
のかもしれませんけど、潮干狩りのためにまいている
のだとしたら、なんかさびしいなって思う。
それでエエんかと思う。
いや、それ言ったら、りんご狩りも梨狩りも、みかん狩りも
ブドウ狩りもイチゴ狩りも同じようなものかも。
じゃあ、釣堀りはどうなんじゃいという疑問も浮かぶ。
整理すると、「それっておもろいか?」という視点でいくと、
まいた貝を拾わされる潮干狩りと釣堀りはおもしろくない、
果物狩りはおもしろい、と思える。
この差はナンなんでしょう。
天然、自然の中でやるのはいいが、管理された中でやるのは
おもしろくない。しかし、果実狩りも管理されている。
ただ、もはや天然の果実を狩ろうと思っても、
それは人のうちの物であるか、食べられないほど糖度の低い
物である可能性がある。
だから、果実狩りはそれでいいという位置づけだ。
しかし、釣りや潮干狩りは自然に近い状態で体験できる
場所があるにも関わらず、管理されたなかでやっていることの
つまらなさがあるということになろう。
もし仮に、天然のリンゴや梨を取ってもいいような
環境があったら、「リンゴ狩り」や「梨狩り」はとても
つまらないものに思えるだろう。
つまり、人は困難を克服してこそ無常の喜びを得る存在だ
ということなのだ。
簡単に手に入るものは少しも嬉しくない。
難しいからこそ得たときの歓びがある。
このことは最先端の脳科学の研究でも証明されてきた。
困難なことを克服したときに最も脳が幸福を感じるように
できている。脳内麻薬みたいなものが生まれるらしい。
そうだとすれば、困難に積極的にチャレンジするほうが
幸福を得るチャンスも多くなるということなのだ。
なぜ人間はそういう風にできているのでしょうね。
なんか今日は思ってたほうと違う方向に
結論がいってしまいました。