形に残るクリエイティブな仕事 

正月にさまざまな人に会って、職業の話を聞かれる。
職業は、「本をつくる仕事」であると言うと、
「形になるっていいよね」などと言われる。
でもよく考えてみれば、本の本質は文字なので、つくっているのは
抽象物なのだ。情報でしかない。たまたま本という形態をとっている
から具体物になっているが、ぼく自身はコンテンツ(情報の内容)を
つくっているので、本当のことをいうと、具体物になってはいない。
それがネットに載ろうが、フリーペーパーに載ろうが、
具体物になろうがなるまいが、そんなことは自分の自己満足でしかなく、
読んだ人がどう感じたかのほうが重要だ。
たぶん大きな枠組みの中に組み込まれていると、自分の仕事が
全体にどのような影響を及ぼしているかわかりにくいので
そう言う人がいるのだろうと思う。仕事が具体物になると、全体が
見えてわかりやすいということなのだろうと思う。
だが、自分の仕事がどのように全体に影響しているかは、勉強すれば
わかることだ。分からなければ上司に聞けばいい。
自分の仕事がどのようにサービスやモノに生かされ、自分の部署の
売上げがどれくらいで、自分が何もしないでいると、どれぐらいの
赤字になるのか、図に書いて把握するのだ。
それが分かると、自分の仕事がなければ全体が動かなくなるという
ことがわかり、自分を悪い意味での「歯車」と思うことも
なくなる。自分の仕事が、どう会社や社会に役立っているかが
わかることが「形になる」ということだ。
また、「クリエイティブな仕事だね」ともよく言われる。
クリエイティブな仕事とはいったい何なのか。
たとえば、車をつくるという仕事を考えてみる。
車をつくるには、意匠を決めるデザイナーがおり、エンジンの
デザイナーがおり、設計を担当する人がおり、部品をつくる人がおり、
組み上げる人がいる。
そのうち、デザインをする人は、実際にモノをつくっているわけでは
ないが、「つくっている」と言うことができる。
一方、最後に車の形に組み上げる人がいるが、この人もまさに実際に
モノをつくっていると言える。
デザイナーをクリエイティブな仕事と言う人はいても、
最後に車体を組み合わせる仕事を「クリエイティブ」とは
言わないだろう。
だが、いまラインで組み立てを行う人たちは、「どうすれば生産工程を
1秒縮められるか」を真剣に考えている。
部品を取り出す棚の高さを1センチ上げるかどうか
日々考えている。これこそクリエイティブな仕事ではないか。
書類一つ出すにしても、どうすれば見やすくなるか、どうすれば分かり
やすくなるかということを考えれば、それがクリエイティブな仕事だ。
本をつくるのはクリエイティブな仕事というが、既存の情報を並び変え
ただけの本もたくさん世の中には出回っている。
これがクリエイティブと言えるだろうか。
仕事がクリエイティブなのではない。
クリエイティブな仕事にするのは自分だし、
クリエイティブな仕事にしないのも自分だ。
楽をしようとしたり、自分を殺したり、前例に倣うばかりだと
とたんに仕事はつまらなくなる。
すべては自分しだいなのだ。