映画『SAYURI』はなぜ英語なのか?

いま公開中の映画『SAYURI』では、日本が舞台の話なのだが、
ハリウッド映画なので、話す言葉は英語なのだ。
ハリウッド映画の場合は、舞台がイタリアであれ、フランスであれ、
英語でやってしまう。
それに違和感があるのは当然です。まだ、『SAYURI』は
見ていないけれど、違和感はあってもしかたないと思ってます。
日本の制作陣がアメリカを舞台にして、アメリカの俳優を使って
映画を撮ったらどうなるのかなあ。
それはさておき、ハリウッド映画が母国語で制作しなければ
ならない理由は何なのか。ぼくはある話を聞いてその謎が解けた。
アメリカではブックテープというのがあって、本の内容を朗読して
くれるカセットテープが普及しているらしい。
あっちの人は車で5〜6時間、平気で運転するから、
その間、車の中でそういうのを聞くんですって。
ブックテープが普及したのはその理由と、もう一つ理由がある。
向こうの人は、日本人と比べて文字の読めない人が
多いからだというのだ。なるほどなあって思った。
それでですね、映画の話に戻すと、やっぱ字幕になると、
アメリカ人は映画を見ないんですよね。文字を読めない人がいるから。
でも、日本人ってほとんどの人が文字を読めるので、
字幕もあまり気にならない。
日本人は雰囲気とか情緒的なものを重視するから、吹き替えより
字幕のほうを選ぶ人も多い。ぼくもそうですね。
興行的なことを考えたら、日本語でやって字幕にするのは
理にかなってないわけですね。
でも、日本人は雰囲気とか情緒的なものを重視するから、
日本人同士が話す言葉が英語だと奇妙にかんじる。
そういう点を差し引いて、『SAYURI』はどう日本人に受け入れ
られるのか、それとも受け入れられないのか。
ストーリーとは別に、そういうのも注目しておきたいところです。