がんばっていれば。

そうだったのか、と当時を振り返って、懐かしく思った
出来事があった。
12月10日に大学の野球部の同期の結婚式があった。
新郎のAと、ぼくの大学の同期でもある友人Bと、
今年の10月29日以来の再会を果たした。
Aの話はまた別の機会に書くとして、今回はBについて書く。
双子で生まれたBには兄であるCがいる。
ぼくを含めた4人の関係はこうだ。
A、B、Cは高校の野球部の同期。
A、B、ぼくは大学の野球部の同期。
今回は双子の兄のCと会うのも楽しみだったのだが、
会って話してみると、本当に錯覚するぐらいそっくりなのだ。
ふたりともチーズが嫌いらしい。双子は不思議だ。
AとBとCが通った高校の野球部は強豪で
甲子園にも何度か出場している。
そんなチームのなかで、彼らはそれぞれCがチームのキャプテン、
Aはサードの控えでベンチ入り、Bはベンチにも入れない
という日々を過ごした。
高校ではレギュラーではなかったAとBが
大学でぼくとチームメイトになったわけだった。
Bは大学1年のときは、野球の不器用さでバカにされたこともあった。
ところが、4年間、たくさん努力してしっかりレギュラーになり、
チームの誰からも一目置かれる存在になった。
バカにしていた連中を見返したのだ。
そんな話を双子の兄であるCにすると、彼は相好を崩して喜んだ。
「でも、あいつは野球ができる体じゃなかったんだ。病気と言うか、
具合が悪い箇所があった。高校のときも、おれはあいつが野球を
やるのに反対だった。でも、大学でがんばっていたんだな。
そういうのを聞くと、おれ、うれしいなあ」
と言うのだ。そうだったのか、Bは体が悪かったのか。
それでもあれだけよく努力したな、とぼくは感心した。
兄のように高校野球でバリバリやれなかったぶん、
取り返すように、Bは大学野球でがんばった。
青春のアリバイ作りをするかのように、燃え尽きる場所を探す
かのように、がむしゃらにやった。
人は、何かに打ち込んだとき、どこかで区切りをつけたがる。
達成感なり、絶望感なりを味わって、燃え尽きてやめたい。
Bは高校時代では到底、燃え尽きなかったわけだった。
燃え尽きて絶望するよりも、燃え尽きることを許されないほうが
残酷だ。Bは双子の兄でありながら、最も身近にいるライバルを
歯がゆい思いで見つめていたに違いなかった。
兄は行動派で、自分にも周りにも厳しく、積極的に引っ張っていく
根っからのキャプテンシーの持ち主。
一方、弟のほうは、控えめで、自分には厳しいが周りにはやさしい。
だから、Bは自分がどれだけ努力したかは決してぼくらに言わなかった。
「あいつは自分で『努力した』なんて言わないでしょ。でも、おれに
だけは『おまえらの野球とは違うんだ』といつも言っていた。
おれも大学の硬式野球部で野球を続けたけど、遊んでいたから……」
という兄の言葉を聞いて、この兄と同じような芯の強いBの
一面を垣間見た気がした。
Bの控えめでやさしすぎる性格が、前へ出るタイプでないと
アピールできない高校野球の強豪チームの中では埋もれてしまった
部分があったかもしれない。
だが、Bは大学野球でのびのびと、その素質を開花させた。
兄であるCは高校野球で、弟であるBは大学野球でそれぞれがんばった。
がんばっていれば、どこかで輝く瞬間があるのだと
彼らはぼくに教えてくれた。
結婚式の二次会の余興で、BとCが腕相撲で対決した。
結果はBが勝利した。たぶん、初めて弟が兄に勝利した瞬間だった。
ぼくはBとハイタッチをして喜んだ。
がんばっていれば、いつかいいときがやってくる。
そうさ、がんばっていれば。