映画『ビッグフィッシュ』で虚実について考える

BIG FISH

ノンフィクションとは何か?
「恋をした瞬間は一瞬時が止まる」
それをウソだ、などと言う人はいない。
それがノンフィクションです。
あるいは、交通事故に遭ったとします。そういうとき、
「ぶつかる瞬間、スローになったんだよ」という人がいますね。
それを聞いて、「そんなわけあるかい!」っていう人は少数派だと思い
ますね。交通事故でなくても、みんなそういう経験を一度はしている。
でも、時間が止まったり、スローになったりすることは
現実にはありえませんよね。現実にはありえないけれども、
その人にそのように感じられたら、それは真実なんです。
そういう真実しかないんです。
ぼくは強くそう言いたい。
この映画は、虚実織り交ぜて話をする父親を認められない息子が
出てきますが、本当の意味での「客観的事実」などないということが
彼はわかっていない。
父親にはそのように感じられ、そのように観たのだとしたら、
真実はそれしかないんです。
この息子も虚か、実か、二元論でしか考えてないんですね。
「誇張した実」があると、なぜ考えなかったのかなと思う。
よく「実話だからいっそう感動した」といいますが、ぼくの場合、
感動するのにフィクションもノンフィクションもないですね。
ものすごく突き詰めて考えれば、本当の意味でのフィクションも、
本当の意味でのノンフィクションもありえないんです。
だから、「自分が感動したなら、どっちだっていいじゃん」
ということなんです。
「いい話だなあ。でもこれどうせ作り話なんだよな……」
というのはすごく損をしていると思いますね。
どっちだっていいじゃないですか。
二元論じゃなく、線引きしないで楽しめばいい。
そういうことを考えたので、とてもたのしめた映画だった。
この父親のようなストーリーテラーになりたいものだ。