「おかげさまで」

職場のデスクのよく見えるところに、
次の詩を張ってある。


「おかげさまで」
夏がくると、冬がいいという  冬になると、夏がいいという
ふとるとやせたいという、やせるとふとりたいという
忙しいと閑になりたいといい 閑になると忙しい方がいいという
自分に都合のいい人は善い人だとほめ
自分に都合が悪くなると、悪い人だと貶す
借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金を持てば 古びた女房が邪魔になる
世帯を持てば 親さえも邪魔になる
衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満に明け暮れ 隣を見て愚痴ばかり
どうして自分を見つめないのか 静かに考えてみるがよい
いったい自分とは何なのか 親のおかげ、先生のおかげ、
世間さまのおかげのかたまりが 自分ではないのか
つまらぬ自我妄執を捨てて 得手勝手を慎んだら 
世の中はきっと明るくなるだろう
おれが、おれがを捨てて
おかげさまで、おかげさまでと暮らしたい 


作者不詳というこの詩は、忘れていた言葉を呼び起こしてくれた。
ないものねだりで日々を過ごして、当たり前ではないことが、
やがて当たり前になっていく。
考えてみれば、この詩のとおりのことが多すぎる。
おかげさまの塊が自分ではないのか――
本当に、本当に、そのとおりだ。
この年になって気づくのでは十分に遅いが、気づいたからには、
今からでも、ちょっとでも感謝の気持ちをもって生きていく。