そうまでして

極限まで自分を追い込んでいるスポーツ選手を
見ると、ときに「なぜそうまでしてやるのか」と
感じることがある。
アテネ五輪の女子マラソンでの野口みずきの快走
を見ていても、やはり同じような心境に陥った。
優勝候補と目された、イギリスのラドクリフは36キロで
棄権し、号泣した。たぶん、無理して走っていたのだ。
2位でゴールしたヌデレバはゴール直後、嘔吐した。
野口みずきもゴール直後に、医者に危険と判断され、
医務室で治療を受けたという。
35度を超える暑さ、アップダウンの激しいコース。
いくつもの悪条件が重なったというのに、
萎えることのない鉄の精神で走りとおした彼女らには
まったく驚くしかない。
驚きと同時に、「なぜそうまでしてがんばる?」という
思いが、涙と一緒にぼくの胸に落ちる。
それが五輪というものなのか。
それが金メダルというものなのか。
何がそうさせるのか。
それはきっと、金メダルを獲得した選手に贈られる300万円の
ご褒美があるからではない。
金メダルそのものがほしいわけではない。
「自分を成長させるべく練習してきたことが間違っていなかった
ことを自分で確かめること、それまでの過程の結果として、
最もよい成果を得ること」
それが彼女らをゴールテープへと向かわせるのだろう。
「最もよい成果」を得ることで、過去の自分を自己肯定できる。
それが金メダルの本質ではないだろうか。
ぼくはこうした人たちを見ると、いつも考えさせられる。
「自分はそうまでして、何かにかけてきたか?」
と自問する。
これは誰にも、現実の生活にも当てはめることができる。
ぼくらは、たとえそれがスポーツという勝負の世界で
なくても、どこかに夢のゴールテープを見定めて走っている。
それが遠いところにあるほど、困難な道のりであるほど、
過去の自分を自己肯定できる。
そう思えば、「そうまでして」やってみようという
勇気がフツフツと沸いてくる。
スポーツはときに、人生において大切なことを教えてくれる。