ボクシングは興行だ

亀田興毅選手の〝疑惑の判定〟で考えた。
ボクシングもプロレスと同じで興行なのだということだ。
この点ではK−1もプライドも同じ。
興行、つまりスポンサー収入と入場料収入などで
利益を出すことが必要とされるイベントのことである。
興行だから〝疑惑の判定〟でよしということにはならないが、
ここでよく言っておきたいのは、
プロレスは八百長で、ボクシングやK−1は真剣勝負
という誤った、あるいは偏った観方についてだ。
私にいわせれば、上記のスポーツも大相撲も全部一緒。
興行としてなりたたせるためには、宣伝として大掛かりな
仕掛けが必要になってくる。
最初は真剣勝負で注目を集めていた「プライド」なども
盛りを過ぎた有名選手を引っ張り出すなど、
盛り上げるのに四苦八苦している。
ボクシングやK−1を真剣勝負というのはいい。
けれどそういう人たちがプロレスを「八百長」と言って
一言で片付けてしまうのは解せない。
プロレスには、八百長か真剣勝負かで見ている人には
絶対にわからない領域の楽しさがある。
つまり、プロレスファンはそんなことはどっちでもいいのである。
K−1やその他の格闘技でも「八百長かそうでないか」
という視点で見ていたら、まったく面白くない。
そういう視点で見る人は面白さを見逃していることになる。
ぼくがなぜ格闘技を見るかというと、
「すっげー鍛えてるなあ」とか
「驚異的なスタミナだ」とか
「今のパンチは強烈だった」というのが見たいのである。
少なくともぼくは八百長かどうかで見るような、
そんな度量の狭い観方はしたくないと思っている。