「消費者」や「市民」

「消費者」や「市民」が悪いとは書けないのが今のメディアだ
という話を書いた。
最近、2人の作家さんを取材したのだが、その2人ともが
異口同音に私と同じことを言うのでびっくりし、
「そうなんですよ〜」と言って意気投合した。
子どもが犠牲になった事件が起きたとき、
「親がもうちょっとしっかりと子どもを見てないと」
というような論調の記事は書けない。
「親は絶望に打ちひしがれているのに、
なんとかわいそうなことを書くのだ」と言われてしまうからだ。
賢い人はそういう事件のニュースを見て、学んで、自分の振る舞いを
修正していくことができる。
でも、それはごく一部の人であって、私のようなボケっと
テレビを見ているだけの人にはそれはできない。
でも、やっぱりもっと建設的な議論が必要だよね。
何が悪かったのか、犯罪者が悪いってだけじゃなく、
それができてしまう状況をつくっていた人の責任も多少は
指摘する必要があるのではないか。
交通事故が起きた場合、道路に人の目を錯覚させる構造になっていないか
という検証が行われることがある。これを人が起こす事件にもするべきだ。
「消費者」や「市民」である私たちは、あまりにも無力で、かわいそうな
存在として扱われすぎている。
だから、官僚に規制をつくってもらわなければ、生命と財産を守れなくなる。
それでは情けないよね。
私たちはもっと自分の責任で知ったり、学んだりする必要がある。