ルーキーズに見る「日本のスポーツ」

オリンピックの時期になんですが、日本人はスポーツが上手であれば、
勉強なんかしなくたっていい、という人が多いように思います。
最近やっていた「ルーキーズ」や、古くは「スクールウォーズ」なんかも
スポーツさえやっていれば、勉強なんかどうでもいいと、
勉強するシーンなんか皆無でしょう。
あれらの番組はテーマを「再起」に置いていたからいいのでしょうが、
でも、実生活に置き換えたら、あれでいいのだろうかと思う。
『コーチ・カーター』というアメリカの映画があります。
アメリカの不良高校生たちを、カーターコーチがバスケによって
蘇らせていくというお話です。
『コーチ・カーター』が「ルーキーズ」や「スクールウォーズ」と
違うところは、コーチは、子どもたちにバスケ選手である前に、
一社会人として通用する大人になるように、勉強をさせ、
社会性を身につけさせようとするところです。


スポーツで成功するごくごく一部の人の陰には、その何十倍、何百倍と
いう人たちの失敗があります。
オリンピックに出られる人たちの影に数十万人のアスリートがいるのです。
スポーツだけに打ち込ませた結果、オリンピック選手になれなかったり、
プロ選手になれなかった人たちは、それでも生きていかねばなりません。
私たちがテレビで見るのは、成功した人たちがほとんどです。
でも、その裏には無数の失敗した人たちがいるのです。
失敗した人たちの話はメディアにのりません。
だから、子どものころからスポーツに打ち込ませれば、
みんなプロになれると錯覚してしまうのです。
子どものころ、イチローと同じくらいの練習をした人は全国に
千の単位で存在したと思います。その中で、さまざまな環境や運に
恵まれた人だけが、イチローになれるのです。
私たちはそれを忘れてはいけないと思います。
「個性を伸ばす」という免罪符のもと、勉強をしないで育った子たちは
不幸です。「スポーツだけやってればいいよ。個性を伸ばしなさいよ」と
言われた子どもたちは不幸です。大人に責任があります。
これは音楽家とか画家もそうかもしれませんね。
一流のその上、超一流になる人は勉強もよくできて、人間性
すばらしいと思います。社会性があって、人間関係をうまくできるから、
「あいつに任せてみようか」とチャンスを与えられて飛躍できるのです。
個性を伸ばして、特技で達成感を得られることは重要です。
でも、それが学校の勉強をしないでいい理由にはなりません。
いま高校野球をやっていますが、
高校球児もしっかり勉強してほしいですね。
(これは自戒も込めて、ですが……。)
親御さんは野球だけをやらせる学校には入れないほうがいいですよ。
プロゴルファーの石川遼選手なんかは勉強もできるらしいし、
ちゃんと自分で勉強するらしいです。
だからちゃんとしたコメントが言えて、人気が出るのですよね。
「学校では教えてくれないことが大事」なんていう大人がいますが、
それは学校の勉強をちゃんとやった人が、
学校の勉強をちゃんとやった人に対していうことで、
まずは学校の勉強が大事です。
「何かを犠牲にしなければ超一流にはなれない」という人もいますが、
そんなことは絶対にありません。私はそう思う。
日本の歴史上、学校の勉強がこれほど軽視された時期はありません。
これほど塾と特技に時間を割くことが奨励された時期はありません。


オリンピックには選手でありながら、医者や弁護士である人が
出てきます。なぜそういうことが可能なのか、オリンピックを
見ながら考えてみようと思います。