選手は監督の操り人形になるな

日大のアメリカンフットボール部の反則プレー問題が
収束の気配を見せない。
焦点は監督の指示があったのかどうか。
部内から漏れ聞こえる声として、
「相手の選手を壊してこい。それができるなら、試合に出してやる」
といったのだそうだ。
これが本当だとしたら、大変恥ずべきこと。
監督が悪いという大前提は確かにある。
で、このところの報道の在り方を見ると、
どうも釈然としないのは、選手の側にも問題があることを
ちゃんと語らないことだ。
学生スポーツでは、監督の指示が絶対だというのは理解できる。
でも、あそこまであからさまなラフプレーをすることの
意味を考えたら、到底できなかったはず。
ラフプレーだけをするために試合に出てもしょうがないだろう。
選手の責任を問わないことは、20歳前後の大人を、
上位者に言われたらなんでもやるロボットとみなしていることになる。
もちろん、これだけ騒ぎが大きくなったので、
すでに選手には多くの批判があるので、
あえてそこでさらにムチ打つことはないだろうと思っているのかも
しれないが、この一件と切り離して、
選手は監督の操り人形であってはいけない、
自分でやってよいプレーと悪いプレーを自分で判断できるように
ならなければ、と言わなければならないと思う。
「自分だったらどうするか」
いまチームスポーツをしている選手は全員、
今回のこの件について考えてみてほしい。