自分が苦しいときに

言葉というのは、誰がどんな状況の時にいうかで
まったく意味が違ってくるものだ。


大学時代の野球部の先輩にメールをしてみた。
仕事上でのお願いをしたものだった。
いつも快く引き受けてくださる優しい先輩だ。


一昨年、お母様と弟君を相次いで亡くされ、いまは家業である
運送業でお父様の跡を継ごうと、茨城で奮闘中のようだった。
私自身もフリーランスになることを告げると、
仕事がなくなると、死活問題になるという
サラリーマンとはまた別のプレッシャーがあるという話に
つづいて、次のような言葉をかけてくれた。


諦めないで前を向いてやっていけば必ず良い結果は出る。
例え良い結果は出なくても前を向いてやったことは無意味ではない。


漫画『巨人の星』で星飛雄馬は、高校の同窓生が飛雄馬のライバル選手に
雄馬の弱点について口を滑らせてしまう。
そのことについて思いつめた同窓生に対して、
「気にすることはない」と気遣う手紙を飛雄馬は書き送っている。
それを知った星一徹が解説する。
「ほんとうの強さとはいかにも強そうにはりきった見せかけよりも
一見やさしげなものの中にひめられとる場合が多い」
自分も苦しいはずなのに、相手のことを気遣うことができる。
これが本当の優しさだろう。
言葉は平凡だけど、裏にある深いものを想像したとき
ふっと涙は出る。
言葉とはそういうものなのだ。