「子どものため」が親を疲れさす

子どものいる親御さんたちは、日々、悪戦苦闘しながら、
子育てをやっていらっしゃることと思う。
すべて「子どものため」を思ってやっていることだろう。
でも、その「子どものため」が親を疲れさせるのだと
最近はよく思う。
子どものために食事をつくる、子どものためにどこかに行く、
子どものために仕事をして、子どものために家事をする。
違う。
子どものためとか、自分のためとか、「〜のため」じゃなく、
それ自体を楽しんでやっていないから疲れるのだ。
買い物にいったとき、旦那についてきてと頼んだ奥さんは
全然疲れていないのに、ついてきた旦那はくたくたに疲れる。
これって、その行為をたのしんでいないからでしょう。
たのしんでいたら、疲れないよね。
考えてみれば、私たちの生活は、この「〜のため」が多すぎる。
「生活のため」「妻(夫)のため」「お金のため」「老後のため」etc
その最たるものが「子どものため」なんだけどね。
自分が全然たのしんでない。
仕事だってそうだ。
「稼ぐため」となったときから、仕事はおもしろくなくなる。
「〜のため」となった瞬間に、目の前の事はすべて義務になり、
主体的な目標は失われ、「やるべきこと」の奴隷になる。
なぜなんだろう。
「たのしい生活を送るため」と思って、結婚し、子どもを生み育てて
いるのではなかったか。
目的がいま達せられて、思った通りの生活をしている。
山の頂上に来たのだから、ゆっくり周りの風景を見渡してみるべきだ。
でも頂上に立ったその瞬間から、目的が未来のものにすり替えられ、
「今」はまた脇役においやられる。
私たちは「今」を自分の手に取り戻す必要がある。
子どもは「〜のため」に今、遊んだりしない。
子どもは今、遊ぶことが楽しいから遊ぶ。だからあんなに元気なのだ。
もちろん、先のことを考えなければいけないこともあろう。
でも、それをちょっとの間、えいやっとうっちゃり、
「今」をたのしみ、「今」を生きる必要がある。
決して「未来の目標」のために、「今」を犠牲にしたりなんかしない。
頂上を目指す途中の上り坂は、苦しいばかりではないよ。
周りを見てみよう。
小さな虫がいたり、珍しい植物が生えているかもしれない。
目的へ向かう道中にだってたのしみがたくさんある。
目的地目指して、歯を食いしばり、がんばってがんばって
疲れてしまうんじゃなく、道中をたのしもう。
たのしんでたら、気がついたら目的地にたどり着いているはずなんだから。