「三浦洋一郎さん80歳でエベレスト登頂」のとらえ方

三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂した。
どんなに鍛えたベテランでも命を落とすことがある
危険な場所に80歳で行ってしまうのは、
驚愕以外の何ものでもない。
ニュースが取り上げたのも当然であろう。
日本人はこういう話が好きなのだ。
頂点を目指して苦難の道をひたすら歩くというね。
ぼくらはこういう話を聞くと、すぐにど根性でがんばったって
思いがちなんだけど、本人は楽しみのほうが大きかった
のではないかと思う。
見出しは「苦難を乗り越えて登頂」であってこそ意味があるので、
「たのしみながら登頂」では人々の興味をひかない。
ぼくらは「苦しいことがあっても、いいことがあるんだ」
「だからおれもがんばろう」「おれもできる」っていうふうに
このニュースを読む。
でもなあって思う。
楽しいから行けるんであって、本当に苦しいだけだと行けないと思う。
苦しいのと辛いのは違う。
三浦さんは苦しかったと思うけど、つらくはなかったと思う。
「苦しいことがあっても、いいことがあるんだ」
というのは、高度経済成長時代の考え方のような気がする。
別の何かのために、仕事をがんばる。生活とか家族のためとか。
それが山の道中であって、生活が向上したときに見える景色が
山頂の景色だった。
いまは仕事自体をたのしむっていう感じになってきている。
それができたら、人生は成功だ。
仕事が生活を向上させるための手段じゃなくて目的そのものなのだ。
それってやっぱり豊かになったから。
「苦難の末に物事を達成」――これって日本人の物語なんだよね。
ラソンとか、高校野球が好まれるのもこれ。
本でも雑誌の記事でもこれが求められる。
でも、そればっかりやってたら飽きられるから、
別の物語をつくる必要があるね。