持ち場、立場、役割

先日、積雪の被害に対して、都市住民は危機感が少ないということを書いた。
友人ともそういう話になった。
「俺たち(東京都民)は雪国の人は雪には慣れっこだって
思っているから、大変だなあって思わない。
でも、今年の積雪は十分災害レベルだと思うんだよなあ」
「それを実感することはできないよ。
なんたって、東京で雪が降ったら雪だるまつくって喜ぶもん。
雪国じゃ誰も雪だるまなんかつくってない」
「そりゃそうだ」


話していて思うのは、その地域の人の住む災害などの危機感を
別のところに住む人が同じように感じることはできないということ。
そこに住んでみないと絶対にわからないことがある。
もちろん、想像して、共感してみることは大切なんだけど、
それでも限界がある。
だから、雪国の人の大変さとか、震災で避難している人に対して、
共感できないのは、自分が非情だからではない。
人には、それぞれの持ち場、立場、役割があって、
それに準じた考え方なり、感じ方しかできないようになっている。
それぞれの持ち場、立場、役割なりの考え方、感じ方で
いいのであって、それ以上のことができない自分を責める
必要はないんだなあ、と思ったのだ。
それに誰だって、目の前の自分の課題のほうが重大だ。
どうしても目先のことにとらわれる。
そのことを笑うことは誰にもできないだろう。
「自分にできること」というのは、案外難しいものである。