『日本人の死に時』

『日本人の死に時』(久坂部羊著)という本を読んだ。
私はアンチエイジングよりも、アンチ・アンチエイジング派だ。
要するに、「人間、年相応でよい。若く元気でいることばかりに
価値が置かれる社会は生きにくい」と思っている。
著者の久坂部氏は老人医療に携わる現役の医師で、
小説を書く作家でもある。
この本もアンチ・アンチエイジングの本なのだが、
こういった内容の本を現役の医師が書く勇気に敬服したい。
本の中でも語っていることだが、医療の現場では「病気」は敵であり、
「死」は敗北である。そのため、病気は必ず治るものであるとみるし、
人は何歳になっても元気で生きられると考えている。
ところが、氏は天寿というものを重視し、よいころあいで
死ぬのが、いい生き方であると説いている。
本では老人施設でいかに厳しい現実があるかを縷々説いている。
そこで暮らす老人たちは、「早くお迎えがこないかな」と
多くが思っているのだという。
ある老人施設のふたりのおばあさんの話が印象的だった。
施設内で2つのグループによるゲームでの対抗戦で、
負けたチームで仲間割れが起こった。
ミスした老婆に、別の老婆が怒った。
「あんたはほんまにトロイ」
「私のせいや。死にたい」
「あんたなんか、簡単に死ねんわ」
今の時代は簡単に死ねないものだから、「簡単に死ねない」と
いうのが、いやがらせになるわけだ。
「おもしろいのは、両方とも死をよいものとしてとらえていること」
と著者は指摘する。
命を助けても「あのとき死なせてくれればよかった」と
言われることもあるのだという。
医師としてやりきれない言葉だと思う。
日本は年をとるほど幸福感が減っていく。
昔は高齢者のほうが知恵や経験があったから尊重されたが、
いまは若い人のほうがネットで調べられるので知識は多い。
財産を持っているとかでなければ、老人などいないほうがましで
単なるやっかいものでしかないというのが、今の日本なのだ。
韓国では「年配の人たちががんばってくれたから今がある」と
いうことを若者に教えるという。
しかし、日本ではそれを教えないので、老人に敬意など払わない。
若く元気であることばかりに価値が置かれるから、
そうでなくなった老人を軽視する。
日本の年金制度は賦加制度になっており、自分で払った保険料が
積み立てられて将来戻ってくるわけではない。
(もちろん積み立てられる分もあるが、基本は「取って出し」)
いま払った保険料はいまの高齢者に渡る。
高齢者への敬意がないからそれを知っている若者は、
「なんでおれらが必死に働いて、じじいに金やらんといかんの」
と思っている。だから保険料の納付率が60%になっている。
この本を読んで、わかっていたつもりのことをあらためて
つきつけられ、さらに気分が沈んだ。


でも、いま確実に延命治療をしたくないという人は増えている。
「そんなに長生きしなくてもよい」という人が増えている。
でも、生きているうちは元気で暮らしたいという人も増えている。
だから、ピンピンコロリなのだ。
だけど、周囲の人間からしたら、ピンピンコロリは勘弁してもらいたい。
結局、どういう形がいいのか。
氏がいうように、老いをあらかじめ想定し、準備しておくことだと思う。
今後、アンチ・アンチエイジングの本を企画してみたい
という思いをまた新たにした本だった。