忘却もたまには

普通忘れることはあまりいいことではないと思われている。
けれど、時と場合によってはいいと思われることもある。
以前、かなりお年を召した方(男性)とお仕事を
ご一緒させていただいたときのことだ。
本の企画が決まったので、どういうスケジュールで進めるかということを
メールで連絡した。彼は秘書からその連絡を受けたはずだった。
しばらくして、彼からあの件はどうなったのかという連絡が入った。
えらい怒っている。どうやらメールの内容は忘れてしまっているようだ。
こっちも確認しなかった非があるから反省した。
スケジュールがまとまり、次に彼と一緒に取材対象者のところへ取材に
行ったとき、話が思わぬ雑談になり、取材はほとんど進まぬまま
その日の取材は終わった。
「いや、とんだ雑談になってしまったね。もう一度、あなただけでも
彼のところへ取材に行ってくれないか」とおっしゃるのである。
再度の取材を終え、原稿をつくった。
しばらくしてそれを読んだ彼がこういうのである。
「いや、あんな雑談であそこまできちんとした文章をつくれるなんて
すばらしいね、まさしくプロの仕事だね!」
と大絶賛してくれたのである。
「もう一度、あなただけでも彼のところへ取材に行ってくれないか」
と自分で言ったことをお忘れになっているようだ。
私は「再度取材にいきました」と報告したのに、
それもお忘れになっているようだ。
彼が忘れたことで、一度目は怒られ、二度目は褒められた。
年をとると、記銘から先に衰えるのだという。
彼がだらしないのではなく、誰でも記憶力が落ちてくる。
そのことがわかっていれば、怒られても無用に気にせずにすむ。
忘れることを前提にこちらが動けばいいことだ。
それどころか、忘れることで褒められたのだし、彼も一緒に仕事をする
われわれを頼もしく思うことができたのだから、どっちもいい経験をした。
忘れることはマイナスばかりではないということ。
老人力(彼にいうと怒られそうだが)とはこういうことを言うのだろう。