野球の特待生問題を考える

前にも書いた高校野球の特待生問題。
やはりこれでもかと、「なんでいけないの?」の大合唱です。
現状の制度がどうなっているのか詳しくはわかりませんが、
ぼくは野球の成績だけで特待生を認めるのは反対です。
同じように、ほかのスポーツや芸術分野についても反対です。
勉強以外の評価だけで特待生を認めるべきではない。
たとえば、勉学での評定値3・2以上で、スポーツ、芸術分野で
すぐれた結果を残した人を特待生とするなど、基準をつくるべきです。
学校はその名の通り、学び舎だからです。
野球が特別扱いされていたのには、過去のあまりにも過熱しすぎた
高校野球人気があるのだと思います。
何度も言いますが、いま特に私立学校は生き残りに必死です。
そのため、スポーツで校名を宣伝するために、
特待生制度でどんどん優秀な中学生選手を引っ張ってきます。
選手の囲い込みに必死なわけです。
こういうのがエスカレートすると、私立高校は中学生の家庭にも
特待生の名を借りてお金をばら撒くようになるのではないでしょうか。
結果、生徒や親たちは「野球は金になる」と錯覚します。
一部のプロ野球選手たちを見て、「自分もああなれるのだ」と思い、
野球だけに打ち込むことを親も認めるようになります。
有名私立高校のなかには、授業は午前中までで、午後は夜まで練習と
いうところもあります。
学校は生き残りのために、生徒を野球に打ち込ませ、
勉強はほどほどでいいという選択肢をとっているのだから
親や生徒が「野球だけやっていればいい」と考えるのは当たり前です。
問題は、運よくプロ野球選手になれればいいが、
なれなかったらどうするのか、ということです。
プロ野球選手になって成功した人のエピソードは語られますが、
成功しなかった人のことはあまり語られません。
だから、高校時代に野球だけに打ち込んだあとどうなるのか
あまりイメージできないのでしょう。
今の世の中は二極化が進んでいて、大学などの教育機関に進学して
専門的な知識を得なければ、職業選択の幅が狭まります。
繰り返しますが、学校は勉強をするところです。
特待生の制度はもちろんあっていいのですが、
学校という文科省の許認可を受けた教育機関である以上、
高校側は「野球だけやっていればいい」
という考え方になってはいけないと思います。
もちろん、勉強のこともきちんと考えて、それでもスポーツが強い
高校もたくさんあります。今後は親も賢明になって、そういう「スポーツ
学校」と本当によい学校とを選ぶようになるので、「スポーツ学校」は
淘汰されていくことになるでしょう。
高校野球を見守る私たちは、もっとあらゆることを冷静に
みなければいけないと思います。