「高校の必修逃れ」に思う

高校の必修逃れの問題でどうにも違和感がある。
高校側が進学実績を求められているのはわかる。
大学側も受験者確保のために試験科目を減らすのもわかる。
親が子どもをいい大学に入れさせたいのもわかる。
けれども、この関係者全員に欠落していると思うのは、
「大学に入ればそれでいいのか」
という視点だ。
どういうわけかメディアもこの点にはあまり言及しない。
制度面の問題ばかりを指摘している。
こうしたことが問題にされない背景には、極端に言えば、
子どもも、親も、学校も、社会も、
「大学に入りさえすればそれでいい」
という考えがある。
暗黙の了解になっている。だからあえて問題にしないのだ。
倫理や世界史、芸術などを勉強しなくてもいいということだ。
制度面の不備より、社会全体がこのことを黙認していることのほうが、
私にとっては衝撃だった。
社会人になると数学や英語や科学の知識と同様に、
倫理や世界史、芸術の知識が必要であることを痛感させられる。
だから文科省も必修にしたはずなのだが、文科省の理想と
現場の理想には相当の溝があるということだ。