何のために議論するか

日本人というのは、議論に慣れていないなとよく思う。
議論というのは、問題解決のためにするのであって、
それ以外の目的のために行うのは、いただけない。
何か解決したい問題があって、それを解決するという
同じ目標のために議論する。それが「建設的な議論」だ。
なのに、日本人となると、何か自分の意見が否定されると、
人格が否定されたように感じて、過度に凹む。
「AとBというふたりが議論してAがBを論破して答えが出たら、
勝ったのはAではなくて、ふたりの勝利なのだ」
と、かつて上岡龍太郎が語っていた。
議論をするのは、どちらの論者が優秀かを決めるためではない。
どちらが優秀かを決める議論など、そんなのはクソだ。
公共の利益のために議論すべきだ。
そして、議論してみんなの利益になるための結論が出たら、
議論したすべての人の勝利だ。
その目的のためなら自分の意見を否定されても
落ち込むことはない。