ある祖母の死

ダイビングショップ主催の飲み会に行ったとき、
ライセンスを取ったときの写真を
ショップの人がフォトカードにしてくれた。
ぼくが破顔一笑したときのどアップだ。
それを持ち帰ったが、はて、誰に出そうかと
思案しながら、毎年の年賀状や暑中見舞いの束に
とりあえず紛れ込ませていた。


あるとき、珍しく家の電話が鳴った
ある女友達からだった。深刻なふうで、話を切り出す。
彼女の祖母がガンで、今際の際を彷徨っているのだという。
聞けば、彼女の母方の祖母だという。
高齢になった祖母を、彼女の母親の兄弟の1人が祖母と
祖母の財産を引き受けて、その家で同居していた。
母親のその兄弟は、祖母の財産の分配を独善で行い、
祖母に自由に使える十分なお金も渡さなかった。
祖母を引き取った兄弟の1人は、
祖母をできるだけ外に出させないようにした。
孫がやってきてもそうだった。
外で転んで寝たきりにでもなったら困るからだという。
そのうち、祖母は痴呆になった。
家にじっとしていれば、ストレスがたまる。
ストレスは痴呆になる原因の一つだといわれている。
それにやっと気づいたその兄弟は、
母親やその他の兄弟に、できるだけ祖母を
外に連れ出してくれるようにと懇願した。
痴呆の進行を少しでも遅らせたかったのだろう。
そうしているうちに、祖母にガンが見つかった。
痴呆のため、ガンの発見が遅れた。
見つかったときには、もう、末期だった。
その女友達は母親と、毎日のように祖母を見舞った。
祖母はそのうち、もう誰が来たのかも
わからくなっていった。
それでも彼女は母親と病室に通った。
目を閉じて、もう意識があるのかどうかもわからない。
それでも孫は祖母にささやき続けた。
「おばあちゃん、今日も来たよ」


少しして、彼女から二度目の電話がかかってきた。
つい先日、彼女に連絡が入ったのだという。
病院にいた彼女の母親からだった。
彼女が着くのを待っていたかのように、
彼女が病院についてから30分もしないうちに
祖母は息を引き取った。
「最期を見守ることができてよかった」
と彼女は思った。
葬儀も終わり、それから数日して
祖母の部屋を片付けていた彼女に
嬉しい出来事があった。
祖母の部屋のテレビの下に、写真立てに入った
小学生時代の彼女の写真を見つけたのだ。
彼女が昔、祖母にプレゼントしたものを
祖母がいつでも見えるところに大切に飾っていたのだ。
その他は彼女の母親と祖母が写った写真があった。
写真があったのは、祖母の子供と孫のうち、
彼女と彼女の母親だけだった。
彼女と彼女の母親の愛情が、祖母に通じていた証拠だった。

彼女は自宅に帰ると、祖母がテレビの下に
飾っていた写真を、自分の部屋に、そっと飾った。


ぼくは受話器を置くと、年賀状と暑中見舞いの束に
紛れ込ませた、あのフォトカードを選り出してみた。
ぼくが満面の笑みを浮かべている写真だ。
フォトカードに、ぼくの祖母の名前と住所を書いた。
メッセージも書いて、その日のうちに投函した。
「おばあちゃん、元気にしてる?」
こんなことをするのは、初めてのことだった。
今まで、間違っても「かわいい孫」ではなかった。
単なる思いつきでやったことだ。たいして意味はない。
だが、こんなことがあるからこそ、
人の気持ちは必ずその人に伝わるのだと、
信じることができるのだ。
もう一つ、確かに言えることがある。
それは、誰かが死んで後悔する前に、
その人と、何か話をすることがある、
ということだ。