連日、森喜朗氏の失言が問題になっている。
男性にはこういうところがある、女性にはこういうところがある、
という言い方はOKだ。
だが、これを善悪や優劣と結びつけるととたんに雲行きが怪しくなる。
性別と優劣とを結びつけるときには、「優」を一般論として
語れば問題ない。
「女性(男性)にはこういうところがあり、○○の面では優れている」
という言い方にすることだ。
ただ、この性差で能力差を語るのは、確かさにおいて
いまの時代かなり怪しいものが多いのは確かである。
昔、同僚の女性で「仕事ってやっぱり男性のほうが向いている」
と言った人がいたが、それは仕事のやり方が、男性がやりがちな方法を
組み込んだシステムになっているだけのことだと思う。
女性は感情で語るというが、仕事をしている女性は理屈で話すように
なっているはずだ。
人は動物であり、動物は環境に適応しようとする能力がある。
そのため、性差より個人差のほうが大きくなるのが今の時代なのでは
ないかという気がしてくる。
ただ、性差がまったくないというつもりも毛頭ない。
それどころが、厳然としてある。
それは男性ホルモン、女性ホルモンというものの仕業であって、
生殖における役割が違うので、絶対的に性差はある。
男性が子どもを産めるようにならない限り、この差は絶対に埋まらない。
生殖を離れた仕事の場合、性別によって埋められない能力差が
あるとはいえない気がするのだ。
今はもう力仕事でさえ代替できる道具があるからね。
女性のほうが細かいことに気づきやすいとか、
一般に言われている傾向はある。
そういう一般的な傾向を、揶揄するのではなく、
社会に役立つものとして活用することを考えていくべきだろう。