平成天皇とハンセン病 

10連休を前にした26日、かねてから気になっていた

東村山市にある国立ハンセン病資料館を訪れた。

というのも、10連休に私の父母を連れて草津を観光する

予定にしていたからだ。

草津は、2010年に訪れたことがある。

週刊誌の取材で、国立ハンセン病療養所栗生楽泉園の

自治会長である藤田三四郎さんに話を伺った。

というのも、記事は天皇皇后の足跡をたどる内容で

あったためだ。

平成天皇・皇后は、ことあるごとに全国のハンセン病療養所を

訪れ、元患者たちを励ましていた。

それは、天皇・皇后の国民へのメッセージともいえるものだ。

藤田さんの話を聞く前に、ハンセン病の資料は読んでいった。

ところが、やはり元患者から聞く衝撃は資料の比ではなかった。

この栗生楽泉園には、重監房という施設があった。

そこでの過酷な生活を聞かされた。

また、藤田さんがどのような思いで世間の偏見や差別と

向き合ってきたかも教えてくれた。

取材を終え、療養所に止めてあった車のハンドルを

握って、しばらく動けなかった。

もう本当に打ちのめされてしまった。

「今まで自分は何を学んできたのだろう」

ライターとして仕事をするときには、

ことあるごとに差別的な表現について学ぶ。

差別表現があると、出版物を出版する編集部に電話が

かかってきて、その対応に追われて半日つぶすこともある。

そのため、編集者から差別表現については

必ず修正の赤字が入るのだ。

それを10年以上もやってきて、

このとき35歳になるまでハンセン病について

詳しいことを知らなかった。

このときほど自分の無知を思い知らされたことはない。

地元の岡山県には2つもハンセン病の療養所があるのに、

岡山の教育者たちは何もこのことについて触れなかった。

(岡山は広島も隣にあるのに、広島平和記念資料館

遠足などで訪れることがない)

私はこの点について、岡山の教育関係者を強く非難したい。

国立ハンセン病資料館と広島平和記念資料館だけは

絶対に子どもを連れていきたいと思う。

今回、天皇が代替わりするのにともない、

ハンセン病についても触れられている。

おそらく新天皇も同じようにするだろう。

(今回の一連のハンセン病関連の記事には、

ハンセン病についての基礎知識は記載しません。

本記事を読んだだけでわかったつもりになるのではなく、

自ら能動的に調べて、ハンセン病に対する差別や偏見が

どのようなものであったか知ってください)